01. 涙のプリズム

茹だるような暑い夏の日、鬱蒼と生い茂る木々の中で、目に涙をいっぱい溜めた男の子を見つけた。木漏れ日から漏れる光は少年の薄い金髪を反射し、目から零れ落ちる雫は地面に染みを作る。その光景があまりにも美しくて、私は誘虫灯に集る虫のように、吸い寄せられるように涙に口を寄せていた。

「!?」

金髪の少年は驚いたように体を震わせ、こちらを凝視する。「ああ、ごめんね」と口では言うものの舐める行為を辞める気配はない。少年が僅かに身じろぎをするとようやく体を離し、「迷子?」と聞く。少年は耳まで顔を赤らめ、潤んだ瞳をこちらに向けながら口を開いた。

「ちがう…」

「そうなんだ。こんなところにいるから迷子なのかと思って」

「…」

「じゃあ、気を付けてね」

そういって身を翻してその場を去ろうとするが、裾が引きつって動きを止める。振り返ると、先ほどの少年が服の端を掴んでいた。

「えっと…?」

「…」

無言で服を掴んでくる少年に困惑したが、よく考えたらこんな小さな子が真夏の昼に外に長時間いたら迷子ではなくても熱中症の危険がある。ここは自然が多く、都会のコンクリートジャングルに比べればいくらか涼しいものの、昨今の温暖化の影響か、あるいはここ数年の異常気象の影響か、熱中症の危険は付き物である。

「私と一緒に来る?コンビニでアイスでも買ってあげるよ」

「…いく」

小さく呟くと服を掴んだまま隣に並ぶ。しばらく歩くと、少年がふらふらしているのが分かった。やはり熱中症ではないかと思い、足どりが覚束ない少年を抱えて、自宅まで瞬間移動した。

「…はっ…」

瞬間移動は複雑な演算が必要で、脳への負担が大きい。夏場の自宅はエアコンは付けっぱなしにしているため、付近のコンビニよりも寛いで休むことが出来ると判断したので自宅に連れてきたが、小さい子だし救急車でも呼ぶべきだったかもしれない。とりあえず意識はあるため軽度の熱中症と判断、家に常備されていたスポーツドリンクをコップに注ぎ飲ませる。

少年は注がれたコップ1杯をすぐに飲み干してしまった。おかわりを用意し、いくらか涼んだら少年の顔色はだいぶん落ち着いていた。

「大丈夫?」

「うん…」

「よかった。良くなったみたいだね」

「…ありがと…」

「いいよ、気にしないで」

引っ越したばかりの殺風景な部屋で少年と二人で座る。テレビも電話もない、つまらない部屋。唯一施設から持ってきた私物のサンキャッチャーは太陽の光を反射してキラキラと輝き、フローリングの床に虹色を落とす。今度施設でプレイしていたゲームでも買おうかと考えがよぎる。すっかり顔色が良くなった少年は興味深い様子で部屋をきょろきょろと見渡していた。

「そういえば、君の名前は?」

「かつき」

「かつきくんね。かつきくん、おうちはどこ?送って行ってあげるよ」

「…わかんない」

「家の近くに建物とかある?」

「XX駅…」

「そっか、じゃあXX駅に行けば分かるか」

あまりに長い時間小さい子を家に連れ込んでいては親御さんが心配することは予想がつく。言われた駅はここから遠くなく、歩いて行ける距離だった。玄関を開けるとすっかり外は夕方になっており、扉からは西日が差しこむ。飴色の光に目を細め、私はかつきくんの手をしっかりと掴み、XX駅へと向かった。

駅についたかつきくんは自宅への道が分かったようで、「こっち」と小さい声で案内してくれた。到着した家はずいぶんと豪邸で、お金持ちの子なのかな、と下世話ことを考えながらインターホンを鳴らす。少ししてかつきくんの母親らしき女性が玄関から顔を出した。

「あ、その…かつきくんが迷子になってたみたいなので、ここまで連れてきたんですが…」

「勝己!帰りが遅いから心配してたよ、連れてきてくれてどうもありがとう」

「気にしないでください。ではこれで」

「あ!まって。勝己のお礼によかったら夕飯でも食べてって!夜は送ってあげるから」

「いえ、本当に気にしないでください」

そういって身を翻そうとしたが、繋がれた手がそれを許してはくれなかった。猛烈にデジャヴを感じるが、「ね?」と美人にウインクされれば断ることなんて出来なかった。私は困ったようにため息を吐いて「わかりました」と家に上がらせてもらった。

綺麗に整頓されたリビングには家族写真がいくつか並べられていた。生まれたばかりのかつきくんの写真もあって何だか温かい気持ちになる。

私の両親は7歳の時に死んでしまった。その時の私はあまりにも小さくて、まだ両親が死んでしまったことなんて理解できなかった。朝日が何度巡っても帰ってこない両親を小さい私は永遠に待ち続けた。そして今でも、私の心は玄関の前で犬のように待つ子供のころのまま、取り残されている。

白いキャンバスに黒い絵の具を落としたように、心に黒が滲みだした時、突然ぐっと白金が視界に入り込んだ。ソファに座っていた私の膝の上にかつきくんが座ってきたようだ。

「あれ?勝己ったら、そんなにその子が好きなの~?」

からかうような口調でかつきくんの母親は頬をつんつんと突く。このぐらいの歳の子は母親の傍を離れないものだろうに、私の膝に向かい合わせに座りお腹にぐりぐりと頭を押し付けるかつきくんに少し困惑する。

「あはは、ごめんね。そのままにしてやってくれない?」

「…はい」

気丈に振る舞ってはいたが、もしかしたら迷子で不安だったのかもしれないな、と思い直し、きゅうきゅう体をくっつけてくるかつきくんの背中に手を回し、背中を優しく撫でた。リビングに置かれたテレビはゴールデンタイムのクイズ番組が流れていた。そういえばこのタレント最近よく見るような気がする、なんて数少ない芸能知識を片隅に、頭の中でクイズを解きながらしばらくかつきくんの背中を撫でていると、お腹からすうすうと寝息が聞こえだした。

本格的に困惑した私は、視線で訴えかけるようにかつきくんの母親を見つめる。視線に気付いたようでこちらにやってきて、かつきくんを抱き上げようとしたが、やはり手は服を握りしめていた。私はかつきくんの手を起こさないように優しく解く。かつきくんの母親は少し笑いながら、階段を上っていった。

振舞われた料理は夏野菜たっぷりのカレーと、瑞々しいレタスのサラダ。美味しいと感じる気持ちとは裏腹に、喉は締め付けられるようにキュウと痛くなり、涙がこぼれないように瞬きをやめた。かつきくんの母親にバレないように「料理上手ですね」と言い、涙の味が混ざったカレーを少しずつ食べていく。

「ねえ、また勝己に会いに来てね。あの子、あなたのこと気に入ってるみたいだし」

「え、ええ。そうですね、時間のある時に」

「そういえば、あなたの名前は?」

「私は苗字名前といいます」

「名前ちゃんか、歳はいくつ?」

「14です」

「そう、落ち着いた子だからもう少し上かと思ってた!」

にかっと歯を見せて笑う。かつきくんは少々不愛想だが、その母親は随分と人柄がいい。少し男勝りで、家族思いで。

「私は光己って言うんだ、よろしくね」

「はい、光己さん。あ、カレー美味しかったです。ごちそうさまでした」

光己さんは私より先にカレーを食べ終わっていた。お皿を台所へ運び、皿洗いをすると申し出るが、光己さんに「お礼だから」と言われて引き下がった。手持ち無沙汰になって少し気まずくなった私は「そろそろ帰ります」と申し出る。

「あ、少しだけ待って。送っていくよ」

「いえ、個性で瞬間移動できるのでお気遣いなく」

「えーっ!すごい個性だね、分かった。気を付けて帰るんだよ」

「はい、本当にごちそうさまでした」

こちらに手を振る光己さんを後目に瞬間移動で自宅へ移動する。今日2回にわたる瞬間移動の反動で額に汗がにじむ。脳が演算に耐えきれなくなったらどうなるんだろうな、なんて安易に考えながらまだ慣れない部屋を見渡す。昼間にキラキラと輝いていた雫型のサンキャッチャーは飲み込まれそうな夜の暗闇を孕んでいた。

涙のプリズム