目を逸らして曖昧にして

「―――…」

 ザックス。その言葉を発することは、出来なかった。

 バーに一人、佇むようにして影を落とす。グラスに注がれている酒は女が飲むにしては度数が高い。女はそれに映る顔を眺めるようにして見ている。まさに心ここに在らず、といったところか。

 女はグラスを眺めながら考える。ザックスが浮気をしている現場を目撃するのは幾度となくあった。何か、心の隙間を埋めるかのようにして身体に女の香を纏わせる彼。思えば彼との出会いはミッドガルだった。そう、それは雨の日。手酷く振られた彼氏の鬱憤を晴らそうと酒を呑んだくれたあの日。帰り道の最中、アルコールはついに私の意識を奪っていった。冷たく振り注ぐ雨の中で声を掛けてきた彼は私の希望であった。太陽だった。深夜の暗い闇の中で確かにそれは輝いて見えたのだ。今思えば勢いだったのだろう。その声の持ち主の手を強引に引き、私に覆いかぶさるようにして体勢を崩した彼に口付けをした。脳に侵食したアルコールに犯された私はもう理性なんてものは無かった。ただ太陽の様な彼がどこか羨ましく、汚したかったのだろう。口付けは深く、彼の息も絶え絶えになり、降り注ぐ雨はとても冷たいはずなのに私の身体は熱く火照る。下半身のそれに少し触れれば、彼は少しだけ顔を赤くして私を抱いた。

 それからのことはよく覚えていない。ただ流れで今の今まで付き合っている。だから、彼が浮気をしたとかしてないとか、そんなに彼に対して思い入れはないのだ。ないはず、なのだ。しかし、だとしたらこの気持ちは何だろうか。一度目はああ、そういう人なんだと割り切れた。二度目も見てみぬ振りが出来た。そして三度目、四度目と回数を重ねていく内に私は自分の心が静かな悲鳴を上げていることに気付いた。彼――ザックスが他の女といるのを見る度に、心臓はドクドクと心拍数を上げ、目はチカチカと過剰な光を認識した。自分はザックスのことをただ形式上付き合っているような彼氏だと思っていたのに、まるで今は片思いの恋をする乙女のようではないか。

 そこまで思考を広げ、気付く。いや、私は元から気付いていたのだ。ただ目を逸らしていた。自分が、ザックスに惹かれているということを。それを認めてしまえば、前の男のようにーー

「…」

考え、辞めた。私は大きく溜息を吐いた。

「溜息を吐くと幸せが逃げるらしいぞ、と」

 特徴的な赤毛の派手そうな男だった。「何」と問いかければ「おねーさん、すげー俺のタイプだったんだぞ、と」なんて返答が返ってくるもんだから、見た目通りの男なのだと思った。着崩された黒いスーツは肌蹴て下品な色気を醸し出していて、理解した。女を漁りに来ただけなのだろうと。残念ながら今はそんな気分ではない。マスターにお金を渡し席を立つ。毎度あり、マスターの大きな声が私の耳を劈く。

「あ、おい!」

チリンチリンとドアに付けられているベルが鳴る。赤毛の男はお金を机に置き、釣りはいらないなどと気障な言葉を吐いて足早に女を追いかける。

 女は店を出てすぐに見つかった。相当呑んだのか、覚束無い足取りだ。苦笑いをしながら、躓いた女の腰をそっと支える。すると吃驚したのか目を見開き、支えた腕の持ち主を見上げる。そして赤毛を認識した途端、何か落胆したような顔でなんだ、と呟いた。

「何、追いかけてくるなんて。そんなに私が気になる?悪いけど今はそんな気分になれない。女を漁りたいならウォールマーケットにでも行って」

「待て待て。何時からそんな話になったんだよ。俺は酒に酔った女を一人で帰らせるほど不躾な男じゃないぞ、と」

少し考えて、じゃあ送って、と女は返した。男はニヒルな笑いを口元に浮かばせ、りょーかい、と言った。

 随分とゆったりとした歩調で歩いていく。向かうは女の自宅。途中足をもつらせながらも、その度に男に支えられ、無事に家に着くことが出来た。小さなハンドバッグを漁り、鍵を差し込む。がちゃりと音を立て、ドアが開いた。

「なあ」

「ん」

「俺、」

そこまで聞いて鍵穴に集中していた顔を向けると、熱っぽい表情をした男がいた。ここは私の家の前。ドアの鍵は開けられて、隣の男は発情しているこの状況。私はまた流されてしまうのだろうか、どこか遠くで他人事のように考えた。開かれたドアの中に強引に押し入られて、壁に両手を縫いとめられた。そのまま男の熱い体温が唇を伝って脳を犯していく。

「結局、女漁りにきたんじゃない」

激しいキスの合間に、途切れ途切れそうつぶやいた。

男は肯定も、否定も、動揺すら見せなかった。

目を逸らして曖昧にして